自由のための空き容量

写真…ぜんぜん撮っていない。
毎日のごはん記録と、自宅ベランダから空を撮るくらい。

先日、メモリーカードをMacに突っ込んで、約1年分くらいのデータを取り込んだらMacの残り容量が20GBになっちゃった。
これじゃ次ぎに仕事が入ったら、何も出来ないじゃんね。困る。

それで慌てて、データの整理とかしだした。
何がそんなに容量を圧迫しているのかとチェックすると、やっぱり写真。撮ってないのにそれでもやっぱり写真なのね。

今どきの写真あるあるかな?
同じ写真が何枚もあったり、iPhoneとかiPadを経由したやつはファイル名が変わってたり、EXIF情報もめちゃくちゃになって撮った日付けもバラバラ。

で、Macに作業スペースを設けるべく、写真の整理を始めたものの、今となってはどうでもいいようなものばかりで、かといって丸ごとゴミ箱に放れるほどの潔さはなく、ここ1〜2週間翻弄されてます。タスケテ。

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朝がいちばんボリューミー

久しぶりに豚の角煮を作りました。

息子の大好物…でした。

過去形ですが、息子は今も健在です。
年齢的に、口が変わったということで過去形。
だから、作るのも久しぶり。

昔よく作っていた頃のレシピを忘れてしまいました。
何か本を見て作っていたと思うけど、その本はとうに捨ててしまい、あの頃の味にならなくて困ってる。
一般的な角煮のレシピだったと思うので、何が「私の味」にしてくれていたのかは不明。ただの思い込みで、こんなもんだったのかなとも思う。

豚の角煮の朝ごはん
豚の角煮の朝ごはん

我が家の朝ごはんは、1日のうちでいちばんボリューミー。
朝から豚の角煮って!と言われること多いけど、朝ごはん食べる時には起きてから既に2時間程経ってるし、「朝食作り」という1日のうちで一番の山場を、もう一仕事終えているからね。このくらいモリモリ食べれちゃう。
私はね。

これを一緒に食べる彼は、、、どうだろ。
本音はわからないけど、美味しそうに食べてる。

ので、まぁいいか。

あの頃の君

不器用を通り越して不憫な感じ

たとえば
夏だし、サンダルなんか欲しいなぁ〜
なんて思ったりする。
そんな時私は、思いつく限りの店を廻って、きゅんっとくるサンダルを探しまくる。
渋谷、表参道、二子玉、自由が丘、横浜。
デパート、ショッピングモール、商店街?
足が棒になるくらい、探して探して、ちょっといいなってものをみつけても、保留にしてまだまだ探す。
時間切れ、体力切れ、充分に納得のいったところでやっとサンダルを買うのです。

そうだ。私はいつだって全力。
妥協が無いと言えば聞こえがいいのだろうけど、つまりは余裕が無いのだね。
これじゃ生涯でたった一度きりの買い物みたいじゃないか。
それも、買って帰るのならまだいい。時にそこまでしてやっぱり買わないという選択をすることもあるのだから、不器用を通り越して不憫な感じさえする。

これね、買い物の話しではないのだよね。
若い頃、結婚相手を探す話しで友人に言われたこと。
彼女は、欲しいものがあったとして、適当なところ(相応なところ)に買いに行って、そこに売ってる中でまぁまぁ気に入るものがあれば買うんだって。
結婚相手も同じだと。それが最高のものかどうかというよりも、タイミングや方向性が合えばそれで手を打つ。とね。

なぁんでこの話しを思い出したんだっけ。。。
Amazonの置き配がイヤでね。楽天とかヨドバシの通販とかはどうだろう…と思ったけど、やはりAmazon一強は否めない。
そもそも実物を見て触って買いたいのに、何処に行けば欲しい物を売ってるのかわからないし…もう昔のように歩き回れる体力も無いしな…なんてことを考えていたら昔のことを思い出したって流れ。あはは。

ひなたぼっこ

今の私はしあわせすぎて

怒りとか
哀しみとか
負の感情が、言葉を生み出すというのなら…
今の私はしあわせすぎて。。。

不特定多数に向けて伝えたいこと
ないね。もう。無い。

やっぱりさみしかったんだろな。
こぼれる感情は
ただ垂れ流されるのじゃ不安で
足掻いて掬って、かき集めてみたりして、じたばたしていた。

な。

していたな。
・・・なんて思う買い物帰り。
茄子を買ったから、今朝はお蕎麦。

冷たいお蕎麦の予定が
朝起きてみるとヒンヤリしてる。しっかり雨降り。
なので間を取って、つけ蕎麦にしたよ。

2020.6.19 朝ごはん

コンプレックスのかたまり

私って、たぶん嫉妬心が人一倍強いと思うの。
負けず嫌いだとも思う。

そういうのえらくかっこ悪いと思うから、必死で平常心を装う。
あまりに苦しくて、見なかったふり、気づかなかったふりをしちゃうの。向き合わないの。
無かったことにしちゃうの。

これって…劣等感コンプレックス…だよね。

心理学者のアルフレッド・アドラーは、劣等感を克服するための補償を5つのタイプに分けている。
補償って…欠如した部分を補い、全体的によりよい状態を維持しようとする傾向のこと。

  1. 劣等感の元になってるハンディキャップを克服する型
  2. ハンディキャップと対照的な価値を実現する型
  3. 劣等感を引き起こす価値感を否定する型
  4. 空想や白日夢などに逃避する型
  5. 劣等感を隠すために、装いをこらす型

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それは“私”じゃないな

好きのカタチって様々で、人それぞれで、
シンプルな方がわかりやすくて、相手にも伝わりやすいし、周囲からも認められやすい。
ブレないってことも重要なこと。

先日好きなアーティストが来日して、東京と大阪で公演があって、サイン会なんかもあって、
その全てに参加して、関連のSNSでもマメにコメントして、いわゆるおっかけみたいなことをしてる人を見て、「あぁ好きなんだな」って思った。
アーティスト本人もそういうファンを大切にするだろうし、わかりやすいな(純粋だな)って思う。

好きなアーティストを少しでも近くで観たい、話す機会があれば話してみたい、記念にサインをもらいたいっていうのはわからなくはないけど、それ以上になると着いていけなくなる。そこまでは出来ないな…ってね。
費用の問題や費やす時間の問題というわけじゃなくて、何か方向が自分とは違っているように感じるから。

憧れのアーティストに近づきたいと思うその距離は、物理的な距離ではないのだよね。
少しでもその人のような自分になりたい。

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好き♡が足りない

人生…50年も生きていると、もろもろの辻褄も合わなくなってくる。

既に40歳くらいの時には、そういうズレみたいなものに気がついていたし、
もっと言えば20代後半にはもう「こんなつもりじゃなかった」「こんなはずじゃなかった」に直面してた。
20代なら軌道修正も仕切り直しもまだ出来たはずで、私はそれなりに充実した30代を送ったつもりだったけど、それってただ帳尻を合わせていただけ。
いわゆるしわ寄せ。
余った布は寄せて寄せて見えない方に追いやってただけ。
余ったモノは隣りの棚に、隣の棚からはみ出たものはそのまた隣の棚へ。あっちにやってこっちにやって。
どうしていいかわからなかったものが、どうしていいかわからないくらい溜まりに溜まって今。はぁ…。

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