好き♡が足りない

人生…50年も生きていると、もろもろの辻褄も合わなくなってくる。

既に40歳くらいの時には、そういうズレみたいなものに気がついていたし、
もっと言えば20代後半にはもう「こんなつもりじゃなかった」「こんなはずじゃなかった」に直面してた。
20代なら軌道修正も仕切り直しもまだ出来たはずで、私はそれなりに充実した30代を送ったつもりだったけど、それってただ帳尻を合わせていただけ。
いわゆるしわ寄せ。
余った布は寄せて寄せて見えない方に追いやってただけ。
余ったモノは隣りの棚に、隣の棚からはみ出たものはそのまた隣の棚へ。あっちにやってこっちにやって。
どうしていいかわからなかったものが、どうしていいかわからないくらい溜まりに溜まって今。はぁ…。

あんまり考えるタイプじゃないからさ。なるようにしかならなかっただけのことだけど、
誰もが考えて、計算通りに生きられているわけじゃないだろうし、
たぶん、想いの強さに導かれた代物なんだと思うんだ。

結局。私には「好き♡」が足りなかったんだなって…思う。

音楽はほとんど洋楽、映画もほとんど洋画。アメリカン好き。
なのにさ、英語喋れないとかね。
写真もね、料理も、ギターも、仕事もね、何もかもが中途半端。
なにひとつ、私を形作る足しにはなってない。
“私”を説明する時、どんな形でどんな色で、どんな味でどんな匂いで、、、って説明することができない。
私は何をして生きてきたんだろなー。。。

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今日は、古い友人で洋服作家をしている彼女が、撮影のために近所のスタジオまで来ているという連絡をくれて会いに行った。
好き♡を貫いてきている人
ただそれだけのことも、この歳にもなればしっかりカタチになってる。尊敬する。