Category Archives: あのね

思うこと。感じること。雑感。

不器用を通り越して不憫な感じ

たとえば
夏だし、サンダルなんか欲しいなぁ〜
なんて思ったりする。
そんな時私は、思いつく限りの店を廻って、きゅんっとくるサンダルを探しまくる。
渋谷、表参道、二子玉、自由が丘、横浜。
デパート、ショッピングモール、商店街?
足が棒になるくらい、探して探して、ちょっといいなってものをみつけても、保留にしてまだまだ探す。
時間切れ、体力切れ、充分に納得のいったところでやっとサンダルを買うのです。

そうだ。私はいつだって全力。
妥協が無いと言えば聞こえがいいのだろうけど、つまりは余裕が無いのだね。
これじゃ生涯でたった一度きりの買い物みたいじゃないか。
それも、買って帰るのならまだいい。時にそこまでしてやっぱり買わないという選択をすることもあるのだから、不器用を通り越して不憫な感じさえする。

これね、買い物の話しではないのだよね。
若い頃、結婚相手を探す話しで友人に言われたこと。
彼女は、欲しいものがあったとして、適当なところ(相応なところ)に買いに行って、そこに売ってる中でまぁまぁ気に入るものがあれば買うんだって。
結婚相手も同じだと。それが最高のものかどうかというよりも、タイミングや方向性が合えばそれで手を打つ。とね。

なぁんでこの話しを思い出したんだっけ。。。
Amazonの置き配がイヤでね。楽天とかヨドバシの通販とかはどうだろう…と思ったけど、やはりAmazon一強は否めない。
そもそも実物を見て触って買いたいのに、何処に行けば欲しい物を売ってるのかわからないし…もう昔のように歩き回れる体力も無いしな…なんてことを考えていたら昔のことを思い出したって流れ。あはは。

ひなたぼっこ

コンプレックスのかたまり

私って、たぶん嫉妬心が人一倍強いと思うの。
負けず嫌いだとも思う。

そういうのえらくかっこ悪いと思うから、必死で平常心を装う。
あまりに苦しくて、見なかったふり、気づかなかったふりをしちゃうの。向き合わないの。
無かったことにしちゃうの。

これって…劣等感コンプレックス…だよね。

心理学者のアルフレッド・アドラーは、劣等感を克服するための補償を5つのタイプに分けている。
補償って…欠如した部分を補い、全体的によりよい状態を維持しようとする傾向のこと。

  1. 劣等感の元になってるハンディキャップを克服する型
  2. ハンディキャップと対照的な価値を実現する型
  3. 劣等感を引き起こす価値感を否定する型
  4. 空想や白日夢などに逃避する型
  5. 劣等感を隠すために、装いをこらす型

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それは“私”じゃないな

好きのカタチって様々で、人それぞれで、
シンプルな方がわかりやすくて、相手にも伝わりやすいし、周囲からも認められやすい。
ブレないってことも重要なこと。

先日好きなアーティストが来日して、東京と大阪で公演があって、サイン会なんかもあって、
その全てに参加して、関連のSNSでもマメにコメントして、いわゆるおっかけみたいなことをしてる人を見て、「あぁ好きなんだな」って思った。
アーティスト本人もそういうファンを大切にするだろうし、わかりやすいな(純粋だな)って思う。

好きなアーティストを少しでも近くで観たい、話す機会があれば話してみたい、記念にサインをもらいたいっていうのはわからなくはないけど、それ以上になると着いていけなくなる。そこまでは出来ないな…ってね。
費用の問題や費やす時間の問題というわけじゃなくて、何か方向が自分とは違っているように感じるから。

憧れのアーティストに近づきたいと思うその距離は、物理的な距離ではないのだよね。
少しでもその人のような自分になりたい。

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好き♡が足りない

人生…50年も生きていると、もろもろの辻褄も合わなくなってくる。

既に40歳くらいの時には、そういうズレみたいなものに気がついていたし、
もっと言えば20代後半にはもう「こんなつもりじゃなかった」「こんなはずじゃなかった」に直面してた。
20代なら軌道修正も仕切り直しもまだ出来たはずで、私はそれなりに充実した30代を送ったつもりだったけど、それってただ帳尻を合わせていただけ。
いわゆるしわ寄せ。
余った布は寄せて寄せて見えない方に追いやってただけ。
余ったモノは隣りの棚に、隣の棚からはみ出たものはそのまた隣の棚へ。あっちにやってこっちにやって。
どうしていいかわからなかったものが、どうしていいかわからないくらい溜まりに溜まって今。はぁ…。

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