不器用を通り越して不憫な感じ

たとえば
夏だし、サンダルなんか欲しいなぁ〜
なんて思ったりする。
そんな時私は、思いつく限りの店を廻って、きゅんっとくるサンダルを探しまくる。
渋谷、表参道、二子玉、自由が丘、横浜。
デパート、ショッピングモール、商店街?
足が棒になるくらい、探して探して、ちょっといいなってものをみつけても、保留にしてまだまだ探す。
時間切れ、体力切れ、充分に納得のいったところでやっとサンダルを買うのです。

そうだ。私はいつだって全力。
妥協が無いと言えば聞こえがいいのだろうけど、つまりは余裕が無いのだね。
これじゃ生涯でたった一度きりの買い物みたいじゃないか。
それも、買って帰るのならまだいい。時にそこまでしてやっぱり買わないという選択をすることもあるのだから、不器用を通り越して不憫な感じさえする。

これね、買い物の話しではないのだよね。
若い頃、結婚相手を探す話しで友人に言われたこと。
彼女は、欲しいものがあったとして、適当なところ(相応なところ)に買いに行って、そこに売ってる中でまぁまぁ気に入るものがあれば買うんだって。
結婚相手も同じだと。それが最高のものかどうかというよりも、タイミングや方向性が合えばそれで手を打つ。とね。

なぁんでこの話しを思い出したんだっけ。。。
Amazonの置き配がイヤでね。楽天とかヨドバシの通販とかはどうだろう…と思ったけど、やはりAmazon一強は否めない。
そもそも実物を見て触って買いたいのに、何処に行けば欲しい物を売ってるのかわからないし…もう昔のように歩き回れる体力も無いしな…なんてことを考えていたら昔のことを思い出したって流れ。あはは。

ひなたぼっこ